利用価値(損得勘定)が人間関係の日本人
利用価値で人間を見たことが元々ない、おそらく。
だから、利用価値や損得勘定で人間関係を構成している人の多さに気づくのが遅れた。
もしくは持っていたいバッグかそうでないバッグか、のような。人間がバッグだ。
リアルな社会で利用価値がないと見なされる人、飲み屋に行く。カネを払ってくれるなら、お前のくだらない話に付き合ってやろうってわけで、お店側としては。
仕事をやめれば孤独になる
利用価値もなければ、明日も顔を合わせなければならない相手でもない。だから歩くゴミと見なされる(言い過ぎか)。
これぞ世界一冷たい民族と称される日本人のなせる技。
韓国人も台湾人も日本人は冷たいと言った
韓国人の友人、台湾人の友人がいた。
「日本人は冷たい」と言い、韓国と台湾で国は違うが、同じ意見で共感し合っていた。
Post: 日本人分析(その1)。書籍「日本を撃て」より
日本人の多くは利用価値(損得勘定)で人付き合いすると見ておけば大きく間違えてはいないだろう。
カネに関係するかどうか、主にその一点だ。職場もそう、患者もそう、客もそう。カネになるなら会話する、うわべだけの会話を。
(逆に言えば、利用価値、損得勘定で人付き合いしないのであれば、"日本人"ではない、ということになろうか。日本国籍であろうとも)
カネがあっても病院のオモチャになって終わるまでのこと。
孤独になって当然のイデオロギー集団
こういった習性の人々に囲まれているのだから、こういった習性の人々から見て利用価値のない人間は孤独になって当然。
というわけで、日本では(他の国のことは知らん)孤独になって当然、孤独死して当然。
孤独者は、民族の新陳代謝、頭皮のフケみたいなもんだ(また言い過ぎか)。
まとめ
お金にならなくても会話しよう。子供たちのように。(日本人には無理だろうけど)